カレンダー
カテゴリ
検索
最新のトラックバック
メモ帳
昔の記憶に頼って書いています。もしかしたら結構間違いがあるのかも。お気づきの節は是非お知らせくださいませm(__)m
タグ
以前の記事
2010年 06月
2006年 04月 2006年 03月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 2004年 10月 2004年 09月 2004年 08月 2004年 07月 2004年 06月 その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2005年 03月 04日
1963年に第1回が開催された日本グランプリは翌64年に第2回、飛んで66年に第3回が行われている。鈴鹿から富士スピードウエイに移るこの延期された65年に日本グランプリの代わりとして開催されたのが「全日本自動車クラブ選手権レース」、船橋サーキットのオープニングレースだった。
浮谷東次郎はこの日トヨタS800に乗っていた。エランでも優勝しているし、ホンダS800改の「カラス」で疾走する姿も有名だがこの雨の日のヨタハチは凄まじかった。スタート後ほどなく接触、ピットイン後猛烈な追い上げを見せる。悪コンディションで他車のペースが上がらない中、猛チャージをかけ優勝をさらっていった。800なのにスカGより速い!と喝采を浴びた伝説の走りである。非力なエンジンスペックを考えればマシンの優秀さがよく解る。(おれらはイモハチって呼んでましたねぇ。そういやぁ焼き芋みてぇだったのう) 船橋サーキットは当時の船橋ヘルスセンター内(現ららぽーと)に作られたテクニカルコース。敷地が狭いため観客席のどこからでもサーキット全体が見渡せた。収容人数は仮設スタンドも含め5万人近い。(ヘルスセンターっていやぁ♪手足の~ばせえば命ものび~る♪ってとこでしたねぇ) いかに自動車レースの聖地とはいえ関東者に鈴鹿はチト遠い。都心から程近いところに位置する船橋はアマチュアレーサーにとって夢のサーキットとなった。その後経営難からオートレース場に転じ今はない。それぞれに成立の背景はあるが、船橋にはアマチュアのためのサーキットとして存続していて欲しかった。 トヨタ スポーツ800 の雄姿はこちらに 東次郎の事故死は痛ましい。彼のファンクラブサイトはこちらに
by macransa
| 2005-03-04 21:40
| 車
|
ファン申請 |
||