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2005年 01月 20日
1966年の第3回日本グランプリにポルシェ・カレラ6で乗り込んできたのが瀧新太郎であった。鈴鹿や船橋サーキットでエランを駆る姿も思い出されるが、瀧といえばカレラ6の印象が強い。式場の904と共に瀧は世界の最新レーシングカーを日本に紹介してくれた日本モータースポーツの先駆けだ。
ポルシェ904のシャープな印象が残る目にはカレラ6のボディはいささか奇異に感じられた。飛行機のような運転席、羽のようなフロントノーズ。初めて見るガルウイングに驚きながらも、これホントにカッコ良いのだろうかと首をかしげながらプライベーターの瀧を応援していた。 このレースにプリンスが送り込んだR380は904を手本に作り上げたと思われるデザイン。生沢・砂子ら4人を投入し準備万端、前回の雪辱を誓っていた。勝負はピットワークで決まった。大きな漏斗にポリタンクを持ち上げ給油する瀧チームに対し、プリンス勢はガソリンタンクを高く固定しホースで直接給油する重力式のシステムを準備していた。(これにゃあズルイとも思いやしたけどなかなかやるじゃねぇかと感心したもんでさぁ。うむ、カレラが気の毒なほどじゃったのぉ)他車に圧倒的な差をつけ次々にピットアウトしてゆくプリンス勢に瀧はさぞ焦ったに違いない。直後のスピンでボディを傷めてしまった。 このレースでは結果を残せなかったが、引退後にはタキ・レーシングチームのオーナーとして活躍。69年にはポルシェ917とトップドライバーであったシファートを出場させるなど多くの夢を与えてくれた日本モータースポーツの父であった。 現存するポルシェ・カレラ6の雄姿
by macransa
| 2005-01-20 23:25
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