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2004年 10月 30日
最後のレーシング・スポーツといわれる”カレラGTS904”は1963年から64年に104台生産された名車である。水平対抗4気筒DOHCで最高速263km、特に連続するコーナーでの速さは際立ち、2000ccクラスGTのチャンピオンとなった。
ポルシェ初のオールFRPボディが驚くほどに美しい。8年後にデザインされたフェラーリ・ディーノにも負けていない。特にそのテールの丸みはアヤシイほどで、63年型モズライトのジャーマンカーブを想像させる。(いやー、あの頃のやつぁみんな色っぺぇでやすなぁ。さよう、生きもののようじゃのう)40年も前にこの車をデザインしたフェルディナント・ポルシェ、通称ブッツィはその後カレラ6、10、そして最強917を送り出すことになる。ポルシェの時代であった。 アメリカ輸出予定だったうちの1台を購入し第2回日本グランプリに参戦したのが式場壮吉である。「式場904で参戦」のニュースに、日本中がどよめいたといわれるほど圧倒的な差があった。そしてあの「スカイライン伝説」が生まれることになる。万全の体制で臨んだプリンス勢は個人では手に入らないダンロップのレーシングタイヤを全車に装備している。桁違いのスーパーカーで乗り込んだ式場であったが、前日の雨の予選でクラッシュ、一晩で修理した調整もままならない車に公道用のタイヤで出場、結果はぶっちぎりの優勝だがけっして楽なレースではなかったようだ。 その後、渡英しレーシングスクールに参加するが父の後を継ぐためにレースからは身を引いてしまう。ダンディな式場は、人気者でヤンチャな生沢徹に比べて、物腰の穏やかな紳士のイメージが強かった。あの当時、自動車レースに明け暮れるなんておぼっちゃまに決まっているが、父の式場隆三郎は精神科医であると同時に、大変な知識人・実業家・文化人であったらしい。あの山下清の才能を見出し、保護者兼プロデューサーであったことでも知られている。 式場隆三郎についてはこちらを 日本に現存する904の勇姿はこちらに
by macransa
| 2004-10-30 16:11
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